ヨーロッパ トップエージェント・スカウト
名門クラブ関係者、ナショナルチーム監督等がずらり

1994年浦和レッズでゴールを量産した元チェコスロバキア代表エース

ルル(チェコスロバキア)

第11回WPSCセレクション・第15回WPSCセレクション 特別審査委員

チェコスロバキア代表という輝かしい経歴を持つ94年浦和レッズに入団を果たし、元日本代表FW福田正博氏、西ドイツ代表のイタリアワールドカップ優勝時の守備の要・ギド・ブッフバルト氏と共にプレー。開幕前にキャンプで骨折するという強大な困難にも下を向かず、懸命にリハビリに励み、見事に戦線復帰。初出場となった試合で、ファーストタッチでゴールを決めたり、清水エスパルス戦ではハットトリックを決めるなど当時は下位に低迷するチームにおいて、16試合8ゴールと外国人助っ人としての本領を発揮し、浦和レッズサポーターの心を掴みました。

89-90年シーズンには20ゴールを挙げ、チェコスロバキアリーグ得点王に輝き、チェコスロバキア代表に選出されました。その後、スロバキアに独立してから、スロバキア代表エースとして活躍を見せた。
97-98年シーズンには、17ゴールでスロバキアリーグ得点王に輝いた。

母国スロバキア以外にも、日本やチェコ、フランス、オーストリアなど世界各国を渡り歩いていったのは、ルル
氏が優れた得点感覚、他人をリスペクトする思いやりの気持ち、外国語(スロバキア語、チェコ語、英語、ドイツ語、フランス語を流暢に話す)を積極的に弁給するなど、超一流のプロフェッショナルだったからです。選手や関係者からの人望が厚く、スロバキアリーグ選手協会会長に就任したこともあります。

現役引退後は、指導者に転進。UEFAチャンピオンズリーグ出場経験を誇るペトルジャルカ、UEFAインタートトカップ2
連覇を達成したインテル・ブラティスラバなど名門クラブの指揮を執り、チェコの強豪トリネツのGM就任、クラブ全体のマネージメントに辣腕を発揮しました。

スロバキア、チェコ、かつてプレーしたフランス、オーストリア、その他ヨーロッパの国々(ポーランドやクロアチアなど)に強いパイプを持っており、そのストロングポイントを生かすべく選手発掘、スカウティングという新たなキャリアをスタートし、現在に至る。

「私はJリーグでプレーしたからこそ、日本のサッカーの素晴らしさをヨーロッパのほかの誰よりも知っている。世界プロサッカー挑戦セレクションでハイレベルかつハードワークできる選手を発掘して、ヨーロッパの各クラブに推薦し、ピッチ上で全力を尽くし、是非ともプロ契約を勝ち取ってもらいたい。選手の皆さん、日本でプレーが見れることを楽しみにしております!」と語る
ルルのモチベーションの高さは尋常ではない。

ルル氏、独占インタビューはこちらから

ルル氏、日本でのサッカークリニックの様子はこちらから

ベルギー代表として3大会連続ワールドカップ出場を果たした国民的英雄

D・ボッフォン(ベルギー)

第8回WPSCセレクション 特別審査員

ボッファンは、現役時代はまさしくワールドクラスの名選手。ベルギー代表MFとして3度のワールドカップ出場(1994年、1998年、2002年)を果たし、ベルギーリーグ480試合70ゴール、フランス・リーグアン:109試合14ゴールという素晴らしい成績を残したワールドクラスの選手でした。

現在は、現役時代にプレーしたベルギーの名門アンデルレヒトのスカウトを務めております。アンデルレヒトは、ヨーロッパチャンピオン5回、ベルギーリーグ優勝33回というヨーロッパ有数のビッグクラブです。
ベルギー国内のみならず、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、南米など世界各地に選手発掘の旅に出て、ダイヤの原石を発掘し、ベルギーに選手を送っている。
WPSCセレクションでナンバーワンのプレーを見せ、かつヨーロッパのトップレベルで通用するとボッファン氏が認めた選手には、アンデルレヒトの入団テストがアレンジされる可能性があります。また、ボッファンは、ベルギーの他のチーム、ドイツ、オランダ、フランスやルクセンブルクに強いパイプを持っており、ハイレベルな選手を推薦したいと並ならぬモチベーションを見せております。
「日本サッカーには、底知れぬ可能性を秘めており、現役時代ベルギー代表の一員として2002年日韓ワールドカップで日本代表が対戦し、肌で感じた。ハイレベルな日本人サッカー選手をアンデルレヒト、ベルギー、ヨーロッパ各国に送るべく、WPSCセレクションには常に注目している。みなさんとヨーロッパで会える日を心待ちにしている」と語るボッファンのモチベーションは尋常ではない。

2016年来日、WPSCアカデミーで特別コーチを務めたときの映像はこちらから

経歴

D・ボッファン
生年月日 : 1965年7月10日生まれ
国籍 : ベルギー
ポジション : 攻撃的MF、サイドハーフ
代表歴 : ベルギー代表53試合1ゴール(1989年―2002年)
ワールドカップ出場3回(1994年アメリカ、1998年フランス、2002年日韓)
タイトル : ベルギーリーグ優勝3回
ベルギーカップ優勝4回
ベルギースーパーカップ優勝5回
所属クラブ :
サント・トルイデン
(ベルギー/1985-1987年)
FCリエージュ
(ベルギー/1987-1991年)
アンデルレヒト
(ベルギー/1991-1997年)
メツ
(フランス/1997-2001年)
サント・トルイデン
(ベルギー/2001-2003年)
スタンダール・リエージュ
(ベルギー/2004年)

ヨーロッパやアジアで30年以上指導する名将ゾランを父に持つ良血サラブレッド

D・ミルコ(セルビア)

第9回WPSCセレクション 特別審査員

1982年生まれの新進気鋭のヨーロッパトップエージェント。ヨーロッパや中東、アフリカ、インド、東南アジアで30年以上指導をする名将D・ゾランを父に持つ良血サラブレッド。

D・ミルコ、日本サッカーに関する独占インタビューはこちらから

サッカーを常に身近に見てきた家庭環境から大学卒業後、サッカー選手・監督のマネージメント業をスタート。母国セルビアや近隣国のクロアチア(2018FIFAワールドカップ準優勝)をはじめドイツ・フランス・スペイン・ポルトガル・ベルギーなどの西ヨーロッパと、父親の指導の関係で生まれ育った中東(UAE・サウジアラビア・クウェートなど)をつなぐ代理人として大活躍。

国際的に大活躍するミルコのポテンシャルは、ヨーロッパ全土でも高く評価され、FIFA(国際サッカー連盟)ジョセフ・ブラッター会長(当時)、UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)ミシェル・プラティニ会長、バルセロナやレアル・マドリーで黄金時代を築いたポルトガルの至宝フィーゴ、名古屋グランパスをJリーグ優勝に導いたセルビアの国民的英雄ドラガン・ストイコビッチら要人とたちと出会い、良好な関係を構築することに成功した。

2011年、父親のUEFA(ヨーロッパサッカー連盟)公認プロライセンス取得の際、豊富なネットワークを駆使し、バルセロナ研修をアレンジし、自らもバルセロナを訪問し、世界トップクラスのサッカークラブのマネージメントを勉強した。

2015にはWPSCテクニカルダイレクターの森本高史と手を組み、モンゴル代表ムルン・アルタンホヤグ選手をセルビアの強豪マチュバ・シャバ移籍を実現させ、モンゴル史上初のヨーロッパ組誕生という歴史的偉業を達成する。

ヨーロッパ、中東のみならず、インド、バングラデシュなど南アジアにも活躍の場を広げていき、WPSCテクニカルダイレクターの森本高史とコラボし、元ベガルタ仙台の伊藤壇選手をチャーチルブラザーズ、元アルビレックス新潟の新井健二選手をスポルティング・ゴアといった具合に、日本人選手のインド進出の基盤を作った。

フランス・リーグアンのASモナコのエース・モンテネグロ代表ステファン・ヨベティッチ(元インテル、マンチェスター・シティ)とアトレチコ・マドリーのモンテネグロ代表ステファン・サビッチらと親交関係にあり、さらなるステップアップを目指しヨーロッパのメガクラブと水面下で交渉をしている。

セリエA得点王を育成した元ナショナルチーム監督

Z・イーブロ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)

第10回WPSCセレクション 特別審査委員

1957年ボスニア・ヘルツェゴビナ生まれ。抜群のテクニックを誇り、旧ユーゴスラビア(現在はクロアチア、セルビア、ボスニアなど7カ国が独立)で最高のタレント(年齢的にストイコビッチの先輩)と高評価を受け、U-19ユーゴスラビア代表キャプテンとして活躍し、U-21ユーゴスラビア代表に昇格し、祖国のために全力を尽くした。

ドイツやイングランドと並ぶヨーロッパの屈指のリーグだった旧ユーゴスラビアリーグの名門FCチェリックで、公式戦500試合以上の出場を誇り、旧ユーゴスラビアでは知らぬものがいないほどの英雄であり、現役時代に幾度となく対戦したハリルホジッチ元日本代表監督、ミハイロ・ペトロヴィッチ(コンサドーレ札幌監督)とは数十年来の固い友情関係を築いている。

エディン・ジェコ(セリエA得点王/ヨーロッパリーグ得点王)、イビシェビッチ(ヘルタ・ベルリン/原口元気のチームメイト)、ミラレム・ピアニッチ(ユベントス)をユース時代に発掘した名将であり、才能溢れる選手をワールドクラスのスーパースターに導くスペシャリストです。

「私が、エディン・ジェコをU-21ボスニア代表に召集したとき、彼は無名で国民から反発があった。しかしながら、私はすばらしい選手だとわかっていたので、信念を貫いた。その後のブンデスリーガ、プレミアリーグのセンセーショナルな活躍を見せれば、私の決断が正しかったことが証明されております」

「イビシェビッチ(ヘルタ・ベルリン)も無名のときにU-21ボスニア代表に召集した。アメリカ留学を強制的にキャンセルさせ、当時パリSGハリルホジッチ二電話をかけ、イビシェビッチのパリSG入団をサポートした」

「WPSCセレクションには、17年開催の第10回では来日視察、その他の回もビデオでくまなくチェックしている。合格選手をヨーロッパのクラブに呼びたい。選手の皆様の最高のプレーを期待している」と熱く語るイーブロ氏の目は真剣そのもの。

モドリッチと良好な関係を築くトップスカウト

V・ダルコ(クロアチア)

第11回WPSCセレクション 特別審査員

2018年ロシアワールドカップ準優勝国クロアチアが誇るトップスカウト。レアル・マドリーの英雄ルカ・モドリッチ(写真・右)と良好な関係を築くなど、ワールドクラスのスーパースター、ヨーロッパ五大リーグのビッグクラブと強いパイプを持つ。

ビジネス界でも大活躍。クロアチアの首都ザグレブに「Khala Retstaurant」をオープン。昼は、カフェ・レストランとして、夜は、バーとして、ヨーロッパ全土からセレブが押し寄せる高級店を経営。UEFAチャンピオンズリーグ常連のクロアチアの名門クラブ「ディナモ・ザグレブ」や遠征で訪れた海外クラブも愛用し、サッカーとレストランの融合に成功した新しいスタイルを確立し、サッカー界、ビジネス界の双方から大きな注目を集める。

親日家として知られ、寿司、焼き鳥、豆腐など日本料理をこよなく愛する。

2017年11月来日。Jリーグのみならず地域リーグ、大学リーグなど未来の日本代表選手たちのプレーを視察し、「日本のサッカーは、底知れぬ可能性を秘めている。モドリッチを超える選手も複数いた。ダイヤの原石を発掘し、ヨーロッパに連れていきたい」と大きな手応えを感じた。

高校生・瀧口太陽選手(第11回WPSCセレクション合格・2017年11月開催)がクロアチアの名門NKヴァラジュディンとプロ契約を果たした時は、全面的にサポート。

日本とヨーロッパの架け橋的存在として、親日家ダルコは毎日全力を尽くしている。

チャンピオンズリーグ出場の名門ゼニトのスカウトを務めたスペシャリスト

K・マクシム(ロシア)

第13回セレクション特別審査委員

1979年ロシアの第2都市サンクトペテルブルク生まれ。少年時代は、プロサッカー選手を目指しハードワーク。度重なる怪我のためユース時代に現役生活にピリオドを打ち、弱冠20歳にして、サンクトペテルブルクでトップ3に入る育成の名門FSカラムヤギのU-16からU-8まで全てのカテゴリーで指導。

ーワールドカップ戦士を育成

ロシアワールドカップで19番を付け、スタメン出場しロシア代表ベスト8進出 の原動力・ダレル・クジャエフを若かりし日に熱血指導。
「クラマレンココーチのおかげで現在の僕がある」とロシア代表クジャエフは、クラマレンコに感謝の気持ちで一杯である。

ー名門ゼニトへ
未来のスーパースターを育成したことは欧州全土にその名が響き、06年にチャンピオンズリーグ出場の常連であるゼニトのユースチームコーチにヘッドハンティング。主な教え子として、ロシア1部首位を走るトム・トムスク(元日本代表・松井大輔選手が以前所属)の主力であるスタニスラフ・クラプキンが挙げられる。

ーゼニト・スカウト副部長に転身
選手の新たな特徴を発見したり。や可能性を広げる「先見の明」を持っていることが高く評価され、ゼニトのスカウト副部長に転身。ゼニトは豊富な資金からブラジル代表フッキやベルギー代表ビツェルを法外な移籍金を支払って獲得するのが日常となっていただけに、クラマレンコの選手を見る目は、ゼニトの経費節減につながるだけではなく、今まで広大なロシアの地に埋もれていたダイヤの原石を発掘できることは、チャンピオンズリーグ優勝を目指すゼニトにとって「最高の補強」となった。

ー起業!

ゼニトの将来の幹部として期待されていたものの、「安定という言葉は私の辞書にはない。ゼニトで得た経験を胸に、さらに成長していきたい」」と退職。
12年、Young Talents Fund、「若い才能ある選手発掘財団」を立ち上げ、スカウト業に邁進した。

ー海外チャレンジ!
15年、欧州バルト3国のエストニアの新興勢力であるインフォネットFCのスカウトのオファーが届き、「ロシア国内のみで通用する人間にはなりたくない。新たなチャレンジはウエルカム」と了承。インフォネットのユースダイレクターに就任した。

―ヨーロッパビッグクラブでの指導者経験
バルセロナ、ユベントス、シャルケ、アヤックス、モナコを実査に訪れ、トップチーム、ユースチーム、施設、関係者からのヒアリングなどヨーロッパのビッグクラブから数多くのことを学んできた。

「勉強を辞めたら、人間としての成長が止まる」と自己投資を常に欠かさない勤勉なクラマレンコ。

ー日本とヨーロッパの架け橋を熱望する親日家
現在はフリーとなりさらなるインターナショナルチャレンジを模索していたところ、地元開催のロシアワールドカップでセンセーショナルな活躍を見せた日本代表に大きな刺激を受けた。

「日本サッカーにとってなにかできることはないか」

国際派で知られる世界プロサッカー挑戦プロジェクトテクニカルダイレクター森本高史と徹底討論し、日本行きを決意。

「今までロシア、エストニアで数多くの選手を指導及びスカウティングしてきた。ロシア、エストニアだけではなく、旧ソ連15か国(ヨーロッパ:11ヶ国、アジア4ヶ国にネットワークがある。私の古巣ゼニト、今まで指導者研修で訪れたヨーロッパのビッグクラブにいい選手がいたら、推薦できる立場にある。
可能性に秘めた日本人選手を発掘し、ヨーロッパ進出を積極的にサポートしたい」と目を輝かせるクラマレンコ。

ワールドカップ優勝国フランスで活躍するプロ選手出身エージェント

アシル・T(フランス)

第12回WPSCセレクション特別審査委員

1979年フランス・パリにて、アフリカ・コートジボワール系移民の両親から生を授かった。家庭は貧しかったものの、「プロサッカー選手として成功を収め、家族を幸せにしたい」という大志を抱き、物心がついたときからサッカーボールを蹴っていた。

 
持ち前の身体能力に加え、抜群のテクニック、スピードを誇り、「ジダンを超える逸材」とのユース時代には高い評価を得ていた。18歳の時点で、フランスの名門ゴブロンのトップチーム入団を果たし、念願のプロサッカー選手としてのキャリアをスタート。
 
ゴブロンのエースとして活躍を果たし、フランス代表入りが噂されることがあったが、まさしく有名税が、若き日のアシルを見舞う。相手選手の悪質なファウルの餌食になり、大怪我を負い、長期離脱することも度々あった。
 
「怪我には絶対に負けない」と強い気持ちで日々のリハビリに励むアシル。監督、メディカルスタッフ、チームメイトの励ましもあり、戦線離脱の度に復帰し、ハイパフォーマンスを披露し、サポーターからスタンディングオベーションが送っていた。
 
アシルは、代理人を付けずに自身の力で、毎シーズン末の契約交渉を行っていた。怪我もあり選手生活はそう長くないと捉えており、セカンドキャリアを選手代理人と定め、その準備として契約交渉を独自に行い、代理人としてのスキルを磨いていった。
 
チームメイトや対戦相手、友人・知人とのパイプを強くし、現役時代からフランス各クラブ、スペインやベルギーなどの近隣国、デンマークやスウェーデンなどの北欧諸国、アメリカやアジア各国のクラブの関係者とコンタクトを取るようになった。
 
ハードワークの末、築き上げたネットワークにより、アシルは、ギリシャのクラブの入団テストをアレンジすることに成功した。アシルはハイレベルなプレーを見せ、プロ契約を提示されたものの、育児や子供の教育問題などによりフランス国内でプレーしたほうがいいと判断し、ギリシャのオファーを拒否せざるを得なかった。
 
2013年、アシルは惜しまれながらも現役生活にピリオドを打った。そして、選手代理人の転身した。
 
仕事は常にハードワーク、オフは優しくフレンドリーな性格から、数多くの選手からの人望は厚く、アーセナルの英雄であり、ワールドカップ出場を果たした元コートジボワール代表エマニュエル・エブエや、フランス・リーグアンの顔ともいわれるボルドーで活躍したマリ代表アブドゥ・トラオレからマネージメントのオファーが届き、ヨーロッパ、アメリカ、アジア各国(タイやベトナム、インド)とのクラブと交渉に励んだ。
 
最近では、元U-20フランス代表サメド・キリッチ、元セネガルオリンピック代表マガイエ・ゲイエをトルコの名門アダナスポルに移籍させるなど、グローバルな活躍は光っている。
 
日本人選手のフランスを始めとするヨーロッパ移籍に大きな関心を持っており、第10回WPSCセレクション合格選手(19歳)に、1部にステップアップする最初の一歩としてフランス名門クラブの入団テストをアレンジし、オファーを勝ち取る一助となる敏腕ぶりを遺憾なく発揮。
 
アシルは燃え滾る情熱を以下のように力説している。
 
「日本人選手は底知れぬ可能性を秘めている。フランスやヨーロッパ各国では、日本人選手を獲得したいという大きな需要がある。WPSCと私が手を組めば、数多くの日本人にフランスやヨーロッパ各国でキャリアをスタートさせることは可能だ。1人でも多くの選手に、WPSCセレクションに参加し、大きなチャンスをつかんで貰いたい」

「プレミアリーグ」「ブンテスリーガ」のスカウト、ユースコーチ等の経歴を持つトップエージェント

M・マリニカ(イングランド)

第23回WPSCセレクション(来日予定)

「リバプール」スカウト、「フルハム」アドバイザー、「アーセナル」「クリスタル・パレス」ユースコーチ等プレミアリーグのみならず、ブンデスリーガ名門「ヘルタ・ベルリン」スカウト、パラグアイ代表スカウト等国際的な活躍を見せる。

2023年アフリカ・ネーションズカップでは、マラウィ代表監督を務め、堂々のベスト16進出。サディオ・マネ(当時リバプール)、カリドゥ・クリバリ(当時ナポリ)らワールドクラスのスーパースターを擁するセネガル代表を圧倒的に攻め込みながら0-0のドロー。世界中に「名将マリニカ」を強く印象付けた。

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