1998年フランスワールドカップ優勝を飾ったフランス代表の中心選手。ジネディーヌ・ジダン、ティエリ・アンリらが前線で能力を如何なく発揮できたのは、爆発的なスピードと驚異的な運動量で、中盤を駆け巡った自慢のドレッドヘアーの韋駄天クリスチャン・カランブーの存在があったからこそ。身体能力だけではなく、非常に視野が広く、戦術理解度も高い。ボランチだけでなく、サイドハーフ、センターバック、サイドバックと多くのポジションをこなした。
フランス代表として、ユーロ2000優勝、2001年コンフェデレーションズカップ優勝、レアル・マドリー時代には、1997-1998年と1999-2000年UEFAチャンピオンズリーグ優勝と、メジャー大会を全制覇を達成、名実ともにワールドクラスと言えるセンセーショナルな活躍を見せた。
「才能に頼らず、奢らず、地道にハードワークを継続していくことが、人生で成功する唯一の方法」とフランスの海外領土であるオセアニアの楽園ニューカレドニア出身のカランブーは、謙虚に語る。
ナント(フランス)、サンプドリア(イタリア)、レアル・マドリー)スペイン)、ミドルスブラ(イングランド)、オリンピアコス(ギリシャ)、セルベッテ(スイス)、バスティア(フランス)とヨーロッパ各国でプレーした輝かしいキャリアにピリオドを打ったのは、当時34歳となる2005年夏。
プライベートでも、世界一の脚の長いスーパーモデル、アドリアーナ・スクレナリコバを射止め、結婚するなど世界の人々に、カランブーの存在を世界の人々に知らしめた。
セカンドキャリアは、通常の選手であれば、指導者がメインだが、できる男カランブーは、違う道をチョイス。
FIFA(国際サッカー連盟)、UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)、ラ・リーガ(スペインリーグ)アンバサダー。外交、広報、そして組織のイメージアップの前面に立ち、世界100ヶ国以上を訪れ、サッカーの普及・振興・発展に全力を尽くしている。
2018年・22年ワールドカップ開催を目指すオランダ・ベルギー共同招致委員会アンバサダーとして、フランス代表元選手であるカランブーが抜擢されたのは、カランブーの持つ世界的な信頼に期待が寄せられた動かぬ証拠だ。
文化人としての活動もスタートし、サッカー番組のみならず、経済・政治・国際番組に出演し、自らの深い造詣・教養をヨーロッパ・世界に向けて発信した。
WPSCテクニカルダイレクター森本高史は、英雄カランブーと良好な関係を築いている。
初めて会ったのは、2010年10月22日国立競技場で開催されたAFC(アジアサッカー連盟)チャンピオンズリーグ決勝 浦項スティラーズ(韓国) VS ゾブアハン(イラン)の試合前の貴賓席。森本高史は、挨拶、自己紹介をし、カランブーから名刺をもらった。
2回目、同年11月24日、マレーシアの首都クアラルンプールで開催された年間表彰式であるAFCアワード。同じホテルに泊まっており、エレベーターの前で感動の再会を果たした。世界のサッカーの話で盛り上がり、カランブーはホテルの部屋に森本高史を呼び寄せ、サッカー談義を継続した。盛り上がりはエンドレスで、延長戦は市内のバーでお酒を交わしながら友好を深めた。
カランブーのワールドクラスの経験を話してくれた中で、最も興味深かったのが、ジダンのフランス代表デビュー戦。1994年8月 国際親善試合 フランス代表 VS チェコ代表の試合でジダンが途中交代でピッチに入ったのだが、それをピッチで見ていた当事者カランブーから生の話を聞けたのは、感無量以外の何物でもなかった。
2012年夏8月、森本高史が、在モンゴルのフランス企業とコラボし、カランブーをモンゴルに招聘。モンゴルの広大な草原において、モンゴルのサッカー少年のためのカランブースペシャルサッカークリニックを開催した。
サッカー発展途上国のモンゴルにとって、ワールドクラスの選手に直に教えてもらうのは初ということもあり、サッカー少年にとって一生忘れられないインパクトだった。
このカランブークリニック参加者から、2019年10月埼玉スタジアムで開催されたワールドカップ・アジア2次予選 日本代表―モンゴル代表の試合に、モンゴル代表選手に出場した。
カランブーの存在が、モンゴルサッカーの発展に大きく貢献したエピソードである。
なお、このクリニックにおける紅白戦でGKを務めた森本高史に対し、終了間際カランブーが鮮やかオーバーヘッド同点ゴールを決めた。その後のPK戦、森本高史のキックは、GKカランブーからゴールを奪ったかに見えたが、カランブーの強い意志によりやり直し。2回目のキックを、カランブーが見事にファインセーブ、モンゴルの草原の地でチーム・カランブーが劇的な逆転勝利を収めた。
UEFAチャンピオンズリーグ出場の常連オリンピアコスのアンバサダーとしてギリシャ在住のカランブー。
「俺が実力を認めれば、会長に話してオリンピアコス入団できる。ヨーロッパの他のビッグクラブともパイプは持っている」と力強く語るカランブー。
「新型コロナウィルスが終息すれば、日本に行って、セレクションを視察し、ヨーロッパのビッグクラブで通用するダイヤの原石を発掘したい。日本人選手は、テクニックがあり、勤勉で真面目だ。最も気に入っている日本人選手は、オガサワラミツオ(小笠原光男・元鹿島アントラーズ)だよ」と満面の笑みを浮かべるカランブー。
日本人がイタリアサッカー界で働くこと自体異例といわれる中、
上土整形外科・スポーツクリニック(静岡県静岡市)経営者として一般医療・スポーツメディカルの両方で社会に貢献している。
ヴィットーリアスFC(市原市)、FCトリム(松戸市を中心とした東葛飾地区)、パッセサッカークラブ(相模原市・町田市)といった首都圏各地で活動する育成の名門サッカークラブを運営するだけではなく、エストレラ(北区)、調整感覚能力という新しい考え方を導入した「ウニベルサーレ」といったサッカースクールを展開するなど日本サッカーの根底を支えているといっても過言ではありません。
数々のプロサッカー選手を輩出し、その代表格が、ブンデスリーガ名門1FCケルンで活躍した長澤和輝選手(現・浦和レッズ)。中学生時代に、三井千葉SC時代に、㈱トリム所属の情熱溢れるコーチ陣の指導を受けたことが、念願のブンデスリーガでのプレー、浦和レッズのAFCチャンピオンズリーグ制覇、ハリルホジッチ監督による日本代表選出・国際Aマッチ出場という偉業達成を支える一助となりました。
その他のOB選手にはJリーガの泉澤仁選手、山田拓巳選手、廣山望選手、GK村山智彦選手など数十名を数える。
また、WPSCプロジェクトの辻勇も高校時代に指導を受けアジアNO.1チームになった広州恒大SCとプロ契約を果たした。
日本代表のワールドカップ優勝という壮大な目標を掲げ、日本サッカーの普及・育成・強化に全力を尽くすしております!
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